日本語教師|外国人にとって日本語がむずかしい理由を解説します

仕事

こんにちは、フリーランスのちひろです。

本日のテーマは “外国人の日本語学習” です。

私は現在、オンライン日本語教師として活動しています。

外国人生徒に日本語を教えながら彼らの反応を見ていると、「日本語は本当にむずかしい言語なのだな」と実感します。

生徒のなかに17言語を話すアメリカ人がいるのですが、彼いわく、日本語がいちばんむずかしいそうです。

今回は、外国人が日本語を学習するうえで苦労しているポイントをご紹介します。

さっそく、詳細をみていきましょう!

外国人にとって日本語学習がむずかしい理由

文字の種類がおおすぎ問題

日本語をマスターしようと思うと、ひらがな、カタカナ、漢字の3種の文字をおぼえなければなりません。

ひらがなは46文字、カタカナも46文字、常用漢字にいたっては2,000字以上あります。

一方、英語を読むのに必要な文字はアルファベットの大文字26、小文字26です。

日本語と英語の差はあきらかですね。

日本語は、文字を読むだけでも大量にインプットしなければいけないので、相当な努力が必要なのです。

私の生徒の2割ほどはいわゆる “日本語がペラペラに話せる外国人” です。

政治や経済、医療などのむずかしいトピックでも普通に会話ができるレベルです。

そんな彼らも、日本語の本を “読む作業” にはいまだに苦手意識をもっています。

そもそも、会話中に彼らが耳でキャッチした日本語文は、頭のなかではすべてアルファベットに変換されているそうです。

たとえば、私が生徒に「おはよう!今日は何時に起きたの?」と聞いたとしましょう。

すると、彼らの脳内には “ohayou! kyou wa nanjini okitano?” というイメージがうかびあがります。

ネイティブ日本人レベルで会話できる外国人ですら、脳内はいまだにアルファベットなのです。

日本の文字がいかに彼らに浸透しにくいものであるかを実感します。

表現の幅がひろすぎ問題

日本語表現はとてもゆたかですよね。

日本人は、オノマトペや敬語などさまざまな表現を状況や相手によって使いわけています。

その結果、適切でスムーズなコミュニケーションがとれます。

しかし、この表現のゆたかさは日本語学習者をくるしめます

3つの例を見てみましょう。

一人称と二人称

日本語には、一人称をあらわす言葉だけでもたくさんあります。

“わたし、わたくし、あたし、うち、ぼく、おれ、こちら、自分、当方” などですね。

一方、英語はどうでしょうか?

“I” 

以上です。

二人称も見てみましょう。

日本語は、“あなた、きみ、おまえ、あんた、てめぇ、そちら、おたく、貴女” が例としてあげられます。

英語はどうでしょう。

“You”

以上です。

英語のシンプルさにくらべて、日本語はとても複雑なのです。

ご紹介したように、英語では自分のことはいつでも “I” です。

それなのに、日本語は話し相手や状況によって “ぼく” になったり “わたくし” だったり、“当方” だったりします。

日本語学習者は、英語にはないこれらの概念を取りこむ作業に苦戦しています。

オノマトペ

日本人にとっては便利な “オノマトペ” も日本語学習者にとってはやっかいな存在です。

オノマトペは擬音語や擬態語の総称で、物事のこまかな描写をするときに便利な表現です。

たとえば、“バリバリ、パリパリサクサクカリカリ” など、クリスピーな歯ごたえを表現するオノマトペだけでも4つはあります。

バリバリ食べるのは厚焼きせんべいなどのかたいものですね。

パリパリは、バリバリよりうすい食べものに使います。

サクサクした食べものはパイやクッキー、揚げもののころもで、せんべいよりもろいイメージです。

カリカリはベーコンや梅など、ひらべったい食べものからそうでないものにも使えますね。

このように、ちがいがこまかすぎるため、日本語学習者はニュアンスを理解するのに大変な思いをします。

尊敬語と謙譲語

目上のひとを立てる日本の文化も、日本語学習をむずかしくする要因です。

外国人が日本語を学習するときはまず、基本形とていねい形をおぼえます。

英語の “come” は “くる” (基本形) と “きます” (ていねい形) の2パターンになります。

しかし、基本形とていねい形を習得して安心したのもつかのま、こんどは尊敬語と謙譲語が待っています

ひきつづき、“come” という動詞を例に見てみましょう。

尊敬語と謙譲語もふくめると、これだけの可能性が考えられます。

 “くる、きます、うかがう、まいる、お見えになる、いらっしゃる、おこしになる、おいでになる” 

単語がかわって “食べる” になると、“食べます、いただく、めしあがる、お食べになる、食べられる” とまた別のパターンをおぼえなければなりません。

この作業が永遠とも思えるほど続きます

日本語学習者からすると、「もういい加減にしてくれ!」って感じですよね。

英語にも日本の敬語ほどではないものの、ていねいな表現が存在します。

けれどもそれは、日本語のようにそれぞれの動詞の形がかわるのではありません。

“could” や “may” などの助動詞や “I was wondering if 〜” といった、すべての動詞に共通で使えるフレーズをそえればいいだけです。

やはり英語のほうがシンプルなので、表現のバリエーションは日本語学習を複雑にします。

和製英語の意味が本来の英語とはちがう問題

日本語の “和製英語” も外国人を混乱させるひとつの理由です。

一般的に外来語はカタカナで表記されます。

例として、ハンバーガー、ワイン、ミルクがあげられます。

外来語は基本的に欧米からきた文化です。

ですから、外国人はカタカナを見ると “自分たちが知っているもののはずだ” と期待します。

例であげた4つの言葉は、英語になおしてもhamburger(ハンバーガー)、wine(ワイン)、milk(ミルク)となります。

外国人は外来語にかんしては楽に言葉を認識できるはずです。

しかし、カタカナ=外来語とは言いきれません

たとえば、“コンセント” です。

「充電器をコンセントにさして!」と日本語学習者にいっても、話が通じない可能性があります。

なぜなら、日本語のコンセントは英語ではoutlet(アウトレット)という別の言葉になるからです。

ほかにも、ノートパソコン、ガソリンスタンド、バイキング、クレームなど、あげだしたらキリがありません。

これらは外来語ではなく、“和製英語” とよばれます。

日本人が英語っぽく独自につくった言葉ですね。

外国人からすると “カタカナ表記だから知っているはずなのに知らない” という言葉が和製英語なのです。

あとがき

外国人生徒に日本語を教えていてつくづく「自分は日本語ネイティブでよかったな」と感じます。

なぜなら、第二言語として日本語を学ぶのはあまりにもむずかしすぎるからです。

私がアメリカ生まれアメリカ育ちの日本語学習者だったら、途中であきらめていたでしょう。

日本語は英語のようにどの国でも通じる言語でもありません

“それでも日本語をマスターしたい!” という生徒たちのやる気と情熱にはいつも刺激をもらっています。

日本語学習はむずかしいですが、その裏にある言葉のうつくしさや表現のゆたかさを伝えていくのも教師の使命かもしれませんね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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