カナダワーホリの現実|地味な毎日・見つからない仕事・コロナ禍から得た気づき

海外生活

こんにちは!坂元 千裕です。

大好きなライブエンタメの仕事を辞めて、
いよいよカナダワーホリを決行した私。

「英語を習得してエンタメ業界に戻るぞ!」
という、前向きな気持ちでの決断でした。

カナダの地で待っているであろう、
キラキラ海外生活に心を躍らせもしました。

しかし、現実は理想と異なっていました。

今回はそんな経験談をシェアします。

「海外生活=キラキラ」だと想像する方には、
リアルな一例として参考になるかもしれません。

映える写真がない

カナダに入国して5ヶ月間は、
英語の習得に集中しました。

いわゆる、
SNS映えする写真など1枚もないフェーズです。

それもそのはず。
この時期の私は家と学校、図書館を
行ったり来たりするだけの生活だったからです。

本来は、異文化を楽しみながら、
勉強するもよし!就労するもよし!が
最大の魅力なワーホリビザ

そんな最強ビザを手にしながらも、
約半年間は勉強しかしなかったのです。

私のワーホリの最終的な目標は、
それなりの英語力をつけて
エンタメ業界に戻ること。

そのゴールが妙な束縛になって、
遊ぶことに罪悪感を覚えていた気もします。

また、ワーホリ中に余裕ある生活ができるよう、
1,000万円貯めて決行したにもかかわらず、
貯金の切り崩しには抵抗感もありました。

「地道に英語を習得していた」と言えば、
まだ聞こえはいいです。

言葉を選ばないなら、
あまりにも地味すぎる生活だったのです。

でも、いま振り返ると、
この期間に英語力がいちばん伸びました。

地味でも、環境を整えて
淡々と積み上げる時間は後から効いてきます

難易度が高すぎる友達作り

英語力を伸ばすために、
カナダ人の友達作りも目的にしていた私。

普通に生活していれば、
自然と友達になれると思っていました。

しかし、その考えの甘さに、
膝から崩れ落ちることになります。

そもそも私が入学したのは、
現地の大学附属の留学生コース

クラスメイトは全員、私と同じ留学生です。

みんな英語で会話するとはいえ、
発音はネイティブではないし、
文法も間違っているしで、
めちゃくちゃなのです。(自戒)

もちろん、教室から一歩外に出ると、
カフェテリアや図書館、ジムには、
カナダ人の学生がたくさんいます。

しかし、彼らと友達になりたければ、
自分から積極的に話かけねばなりません

そりゃあ、私だって図書館で
カナダ人に話しかけられるケースも
何度もありました。

「突然だけど…友達になって!」とでも、
言われちゃうんじゃないかと思いますよね?

でも、実際にかけられた言葉といえば、
「トイレに行きたいから、私の荷物見てて!」
でした。

安心と信頼の日本人。

「やはり日本人は信用できる!」という
好印象を残せたのではないかと思います。

後から分かったことですが、
現地の人と関わりたいなら、
授業外のサークルやコミュニティに
自分から入る必要がありました。

何の役にも立たない職歴

半年の就学期間を経て、
私はついに働くことを決意します。

ワーホリビザの真骨頂、いざ!!

しかし、私はここで大挫折をします。
仕事が見つからないのです。

ワーホリビザ、日の目を見ず。

正直、自分の職歴には自信があったので、
すぐにどこかで採用してもらえると
簡単に考えていました。

だって、私の職歴といえば、
プロモーターとして、
・企画
・会場押さえ
・広報宣伝
・チケット販売
・団体鑑賞営業
・アーティストケア
・現場運営
・公演精算
を一手に引き受けて9年も働いていたのです。

そんな私を採用しないなんて!なぜ!
と、当時は本気で不思議に思っていました。

でも、冷静に考えてみれば、
分かります、そのお気持ち。

私はビザの有効期間は残り半年ほど、
英語レベルも日常会話がやっとの日本人。

それだったら、職歴はなくとも、
スムーズにコミュニケーションが取れ、
長期採用を見込める現地の大学生を雇う方が
理にかなっています

日本での実績がそのまま海外で通用するとは
限らない、という現実を突きつけられました。

記憶から抹消されたジャパレス

予期せず仕事難民になった私はこう思います。

「こうしてワーホリ勢はジャパニーズレストラン、
通称ジャパレスに流れ着くのだな」と。

そして、私ももれなく、
ジャパレスの扉を叩くことになります

「ここで働かせてください!」と。

無事に働けることになりましたが、
正直、めちゃめちゃ辛かったです。

・もう辞めたい
・今日行きたくない
と、何度思ったことか分かりません。

私が働いていた数ヶ月間だけでも、
10人近くのワーホリの子が
姿を消した恐ろしい職場

おかげで大変な環境でも戦える耐性が
身につきましたが、嫌な記憶すぎて、
思い出からは抹消されていました。

過去の私が、抹消前に
記録に残していてくれたので、
一応、当時の体験談を貼っておきます。

ご興味のある方はぜひ。

新型コロナウイルス大暴れ

ワーホリビザが切れるまで、
暗黒ジャパレス期を生き残った私。

その後は、前職でつながったご縁で、
日本に帰国して東京オリンピックの
コーディネーターとして働くことが
決まっていました。

さぁ、日本に帰るか!というタイミングで
まさかの新型コロナウイルスが暴れ始めます

坂元の日本帰国、
東京オリンピックとともに延期決定。

あわててビザの延長手続きをして、
ひとまず事態を見守ることに。

その後、ロックダウンで外出禁止にもなり、
基本的に自室に引きこもっていました。

あまりにも外に出ないので体感としては、
カナダにいるのか日本にいるのか

よく分かりませんでした。

とはいえ、渡航の運やタイミングが
悪かったとは思っていません。

そのような特殊な状況で、
カナダの政策を身をもって体験したことは
自分にとっては意味があったと捉えています。

また、想定外の出来事にどう対処するかも、
海外生活の一部なのだと実感しました。

ワーホリを振り返って

私のワーホリはキラキラ海外生活ではなく、
修行のような体験になりました。

でも、「海外に行ってみたい」と感じて、
それが理想の形で実現できなかったとしても、
飛び込んでみた価値は大いにありました

苦労したワーホリ生活を終えた私は、
日本へ帰国後、東京オリンピックで働き、
いよいよライブエンタメ業界へ戻ります。

次の記事では、帰国後の仕事に生かすため、
どのように英語を身につけたかについて
触れていきます。

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました!

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